文芸翻訳のメンターシップ・プログラムについて【山崎安里沙さん】

こんにちは!翻訳専攻2年生の山崎安里沙と申します。

今回は私が昨年参加した、American Literary Translators Association の Emerging Translators Mentorship Program についてお話しさせていただきます。

American Literary Translators Association (ALTA)というのは、その名の通りアメリカの文芸翻訳家協会ですが、若手文芸翻訳家育成プログラムといったものを毎年行なっています。すでに業界で活躍されているベテランの翻訳家がメンターとなり、これから文芸翻訳に挑戦したい若手翻訳家をマンツーマンで 9 ヶ月間ほどアドバイジングします。まだ翻訳されていない小説や詩をあらかじめ自分で選び、一部を翻訳し、応募の際に提出します。抜擢された場合、その作品を 9 ヶ月ほどかけて翻訳し、最終的にはALTAが年末に毎年行なっているカンファレンスで発表をするという流れになります。プログラム終了後も出版先を探すなど、まだまだやることはたくさんありますが……

メンターの方はほぼ毎年変わるので、応募対象となる言語枠もその年ごとに変わります。また、色々な国の政府や文化団体がスポンサーとなっているので、その年のスポンサーによっても言語枠は変わるようです。私が応募した 2022 年度のプログラムは初めて日本語枠があった年で、UCLA と関連のある Yanai Initiative がスポンサーをしていただいたおかげです。私のメンターは、日英文芸翻訳家でノースカロライナ大学シャーロット校日本語学科助教授のデビッド・ボイド(David Boyd)さんでした。川上未映子さん、高橋源一郎さん、小山田浩子さんなどの作品を翻訳されています。

私がこのプログラムに応募したきっかけですが、もともと文芸翻訳家になりたいとは全く思っていませんでした。文芸翻訳というのは、自分自身も創作活動をしている人が一番適していると考えていて、正直自信がありませんでした。ですが、応募締め切りの 1 ヶ月前ぐらいにたまたまこのプログラムに出会い、ちょうど日本語枠があったこともあり、ダメ元で応募してみました。翻訳したいと思った小説は、その年に読んだ高山羽根子さんの『如何様』という作品でした。戦後の東京が舞台で、兵隊だった画家が出征前と全く違う姿になって帰ってくるという話です。戦争などの出来事を体験することによって国民が背負わされるトラウマ、またこういったトラウマによって人は決定的に変わってしまうということを描いたこの作品は、当時まだコロナ禍で生活していた私にとって、とても共感できました。高山さんは 2020 年に『首里の馬』という作品で芥川賞を受賞されています。

ALTAのイベントで発表

それまで文芸翻訳をしたことがなかったので、メンターシッププログラムは驚きと発見の連続でした。アート系のものや脚本などの翻訳をしたことがあっても、文芸翻訳はアプローチや考え方がかなり違い、色々と気付かされることがありました。私が一番苦労した点は、意訳などの工夫を取り入れることでした。作者が意図的に選んだ表現や流れなどを少しでも忠実に反映したかったので、初めはどうしても一語一句抜け漏れのないように翻訳をしていました。ですが、文芸作品は読者の心に響くかどうかが肝心なので、細かく忠実に翻訳することで逆にメッセージが失われてしまう場合もあるということを痛感しました。こういった場面で自信を持って翻訳家としての判断を下すことは、たくさん経験を積まないと慣れないものだと今も感じます。また、原文を事細かに再現しようとしていた当初は、実務翻訳をする時と同じようなスピードで訳していましたが、プログラムが進むにつれ大幅にスピードが落ち、一段落に何時間もかけるようなこともありました。ただ単に作品を日本語から英語に置き換える作業ではなく、自分も一緒になって携わる創作活動なんだという意識が徐々に芽生えたからだと思います。

2022 年度の ALTA カンファレンスはコロナの影響でオンラインになりましたが、代わりにメンターシッププログラムのための対面イベントが 11 月に開かれました。三日間のイベントで、開催場所は ALTA が拠点を置いているアリゾナ大学でした。文芸翻訳業界についてのパネルで他のメンターの方々の話を聞いたり、ロシア語から翻訳された演劇を観たりと盛り沢山な内容でした。もちろんメインイベントは、各メンティーが翻訳の一部を発表する朗読会でした。韓国語やスウェーデン語、ポーランド語、カタルーニャ語など、世界中の素晴らしい作品の翻訳に触れることができて、とても貴重な時間でした。

文芸翻訳に挑戦したい方、小説などが好きな方にはぜひこのメンターシッププログラムに挑戦してほしいです。メンターの方に自分の翻訳を評価してもらったのはもちろん、翻訳について深く考え、色んな議論ができたのは本当にかけがえのない経験でした。有名な日本人作家の作品でも、まだ訳されていない作品は山ほどあります。出版翻訳業界はなかなか参入しにくく、金銭的にはあまり魅力的ではないかもしれませんが、一冊でも多くの翻訳本が出版されることによって生まれるインパクトはとても大きいものだと感じています。応募締め切りは秋なので、もしご興味があればぜひ今から検討してみてください。

私が翻訳した『如何様』の抜粋が、The Offing というオンラインの文芸ジャーナルに掲載されることになりました。まだ掲載日は決まっていませんが、公開されたらここで共有したいと思います。

フィギュアスケート大会 通訳体験談【アファフ・カーンさん】

皆さん、こんにちは。翻訳通訳専攻2年生のアファーフ・カーンと申します。

今回は2月に行われた、四大陸フィギュアスケート選手権にてボランティアとして翻訳・通訳をさせていただいた経験についてお話ししたいと思います。

自己紹介

まず、私は日本人でもアメリカ人でもありません。一言で説明すると、私はパキスタン出身のフィギュアスケートオタクです。

そのフィギュアスケートオタクが一体何をしにMIISに入学したのか、少し説明させていただきます。

日本語は完全に独学で、日本での滞在経験もありません。高校一年生の夏休みのある日に、お母様が日本人で、お父様がパキスタン人の友達が漢字ドリルを突然始めたのがきっかけです。私も負けないぐらい暇を持て余していたので、新しいノートを買って彼女の家に遊びに行き、一緒に勉強するようになりました。

実は負けず嫌いなので、小学一年生用、二年生用と漢字ドリルを続け、どんどん漢字を覚えていきました。友達が飽きてしまっても、私はなかなか辞められなかったのです。

ひらがな・カタカナをマスターしてからは読む方に集中し、勉強する時は主に漢字と文法(A Dictionary of Basic/Intermediate/Advanced Japanese Grammarシリーズを愛読していました)がメインでした。辞書さえあれば読めないものはないと、今もそう信じています。

大学はコンピュータサイエンスを専攻しましたがやりがいを感じず、卒業後はフリーランスとして日英翻訳の仕事を始めました。上手くなれば、そして、仕事の機会が増えればと思いMIISへの入学を決め、パキスタンを発ちました。

ボランティアに応募したきっかけ

四大陸の話に戻りますが、なぜスケートの大会でボランティアをしようと思ったのか。

フィギュアスケート自体は4年前、某選手が「ジョジョの奇妙な冒険」を演じたことがきっかけで虜になりました。

活躍している日本人選手が多いこの競技ですが、その選手たちの言葉が世界へ発信される場は主に記者会見だけです。つまり、大きな国際大会で表彰台に上った、ごく少数のトップアスリートです。しかし、メダルの数や点数と関係なく、選手一人ひとりに様々な想いや考え方、経験、そして夢があり、それぞれの物語に発信される価値はあると思います。推しの言葉にたくさん笑わされたり、救われたりしてきた私ですが、いつか全選手、全インタビューの翻訳を任せてもらえたらいいな、とおこがましくもぼんやりと思ったことが多々あります。そして、MIISで初めて通訳に挑戦してみたとき、このひそかな夢に「試合で通訳をしてみたい」という思いが加わりました。

それはさておき、フィギュアを観るのが大好きだということは言うまでもないと思いますが、ボランティアに関しては色々と悩みました。ただ、やらないよりやるほうがマシ、というのが私のポリシーです。これから通訳者になるためにも、とりあえず人見知りを克服したいのが一番の目的でした。

到着

コロラドスプリングスには大会の3日前に到着しました。国際スケート連盟のQuick Quotesという、演技直後の選手をインタビューするチームにアサインされたことを大会前日に知らされました。後戻りができない、やるしかないと思いました。

大会初日

さて、男子ショートの日です。会場に入って案内された先には、私とパートナーを組むことになった、大人スケーター(スケート連盟に所属しない成年のスケート愛好者)のKaoru Slotsveさんがいらっしゃいました。Kaoruさんはとてつもなく社交的で、色々とサポートしてくださいました。

Kaoruさんのご著書です!

私は緊張でなかなか身動きが取れなかったのですが、余裕の笑顔でいつもお元気なKaoruさんと一緒に、選手に聞く質問を考え、文字通り肩を並べながらインタビュー内容の翻訳・書き起こしに取り掛かりました。後日、自分の翻訳がネットに掲載されているところ、そしてファンの方たちがそれに反応されているところを見た時は、とても充実した気持ちになりました。

Kaoruさんの優しさに支えられた一日の終わりにシャトルに乗ると、なんと、日本スケート連盟の方がsmall medal ceremonyの通訳を依頼してくださいました。英語ができる日本人の方ではなく、わざわざ私に声をかけてくださったことが大変光栄でした。私がスタッフではなくただのボランティアだと知った時は少し戸惑ったそうですが、強気に名刺を渡して、「私!通訳できます!やらせてください!」とプレッシャーをかけてしまいました。

録音を確認中のKaoruさんと

男子フリー

女子フリーは観客として拝見させていただき、男子フリーの日は再び舞台裏へ。Small medal ceremonyはペアフリーと男子フリーの間に行われる予定でした。着いた時はまだペアフリーの最終グループでしたが、のんびりピザを食べていたところに電話がかかってきました。「もし三浦・木原組の優勝が決まったら、優勝インタビューの通訳をお願いできますか」とのことでした。ピザをくわえながらメディア・エリアへ猛ダッシュし、通訳デビューを果たしました。

デビュー、と言ってもそれほど派手なことはしていません。フィギュアの試合を数多く観てきましたし、インタビューなどもすかさずチェックしてきたため、よく聞かれる質問、選手がよく使うフレーズ、標高の高さなど今大会ならではの課題など、基本的なことは把握していました。

しかし、事前準備がしっかりできていても、理想のパフォーマンスが保証されるわけではありません。今回の通訳で改めて痛感したのは、通訳というプロセスはいかに繊細かということです。

まず、録画を見返して、自分が記憶とはまったく違うことを言っているのが驚きでした。記憶していた訳はどこから来たのか、それはおそらくその時に考慮していた候補の一つだったのでしょう。

さらに、訳し終わった後、そのページのノートをしっかり斜線で消してからページをめくっていたのも興味深かったです。

斜線を引いてノートを消すというのは、同じページに次のセグメントのノートを取る場合、どこから訳せばいいのかという混乱を防ぐために普通使うテクニックです。つまり、新しいページに移る場合は不要です。しかし、斜線を引くことで頭がすっきりする、という心理学的な効果はあったと思います。

いつものノート、いつものペン、そして、慣れ親しんだテーマ。不確実な要素を最小限まで抑えられたおかげで、放送事故を起こさずにその場を乗り切れました。

Small medal ceremonyは結局一般の方からの質問コーナーはなかったので、私の出番はないまま終わってしまいましたが、男子も日本人選手が優勝し、再び優勝インタビューの通訳をさせていただきました。選手本人も面白い方で、観客の声援などで確かな手応えを感じました。実は以前、日本スケート連盟の専属通訳者の方とオンラインでお会いしたことがあるのですが、インタビュー直後にその方が労いのメッセージを送ってくださったことが何よりも光栄で嬉しかったです。たくさんの方にアフターケアをされているようで、幸せでした。

三浦選手、改めて優勝おめでとうございます!

まとめ

気づいたらスケートの試合で翻訳と通訳をするという夢が叶った私。スケートに出会う前のことを思い出すと、本当に遠いところまで来たな、と感慨深い気持ちになります。

同時に、就活もそうですが、ただ待っているだけだとなかなか振り向いてもらえない、チャンスをもらえないということも身をもって実感しました。一歩踏み出すことで失敗することがあっても、何かを掴める可能性もあるので、それだけでも踏み出す価値はあると思います。

そして何よりも、観客に聞いていただくレベルの通訳ができるようになったことがこの上なく幸せです。MIISでお世話になっている先生の方々に心から感謝を申し上げます。

皆さんにもぜひ、思いっきり夢を追いかけてほしいと思っています。

卒業生インタビュー【田中心一郎さん】

今回は、2014年にMIISを卒業されたあと、通翻訳者としてご活躍中の田中心一郎さんにお話を伺いました。

◆はじめに、MIISの修士課程で学ぼうと思ったきっかけを教えていただけますか。

MIISに入学したきっかけは国際基督教大学で通訳や翻訳の授業を受けていて、二つの言語を行き来する感覚がパズルを解くように面白く、仕事にできたら楽しいだろうと思ったのが一番のきっかけです。また、MAを取得していると仕事を得やすいだろうという損得勘定もありました。

卒業後は、主にどのようなお仕事をされていらっしゃいますか。

卒業後はまずシリコンバレーの法律事務所で10か月ほど特許翻訳をしていました。先輩に勧められたというのもありますが、将来を考えたときに特許翻訳の知識は必ず役に立つと考えたのが決め手です。OPT(Optional Practical Training)による米国での1年間の就労ビザが出るので活用しました。将来的にフリーランスを目指していたので、ビザが切れる前に退職し、日本に帰ってフリーランスになりました。

MIIS在学中にフリーで仕事をするための下準備をしていたので、大きな不安はありませんでした。まず、翻訳と通訳の授業をまじめに受け、先生やクラスメートから信頼を得ること、次に企業リサーチのインターンで卒業後も稼げる収入源を確保すること、そしてMIISでの就活やATAなどに参加して得たエージェントなどの連絡先や情報を活用しました。また、MIISのキャリア相談を行っていたジェフさん(現在は退職)と毎週のように会っていました。LinkedInのプロフィールの書き方や履歴書の書き方、キャリア形成など様々なことを教えていただきました。とにかくコネクションを作っていくことは今も実践しています。

コロナの影響が大きくなる直前には、他国の大使と厚労省との会談の通訳を担当し、対面での通訳も多かったのですが、コロナ禍で急速に仕事が減ったのを覚えています。2020年の5月はキャンセルが相次ぎ一件も通訳の仕事がありませんでした。仕事が減った分は翻訳や字幕の仕事を受けていました。

徐々にオンライン通訳の案件が増え、今ではコロナ以前と同程度に安定的に仕事が来ています。2018年には東京スタートアップ・ゲートウェイ(公的なスタートアップ企業の支援プログラム)に参加し、オンライン通訳プラットフォームの開発も考えていたので、リモート通訳に移行することに抵抗は一切ありませんでした。初期のリモート案件として多かったのはGAFAMなどで知られるIT系の通訳です。IT関連のガジェットが好きで、特許翻訳もしていたので、IT関連の通訳としてエージェントからも信頼されるようなりました。そこから、徐々にほかの分野の製薬系や法関係の仕事も依頼が来るようになっています。OJTのように仕事を通じ学ぶことも多く、日々勉強に努めています。

MIIS で学んだことが、いまお仕事にどう活かされているか、お聞かせください。

通訳や翻訳の技術については当然毎日の仕事に活かされています。最近退職されたターニャ・パウンド・ウィリアムズ先生から学んだ日英特許翻訳については、そのまま卒業後の就職先で特許翻訳者として活かすことができました。フリーになってからも技術系や法律関係の仕事で文書を読む際などに活かされています。

他にも、アメリカの文化や言葉・常識に触れられる環境、グローバルかつ優秀な英語話者が多数いる環境に身を置くことで得られた知見は、普段は意識しない場面で役に立っています。メールの書き方、クライアントとの接し方、距離感、こういったなかなか学習だけでは体得できない部分が補えたのは大きな収穫でした。

MIISで一番意識したことが仲間を増やすことです。友達を増やすということでもいいでしょう。ATAの会議にも毎年参加していました。MIISのTILMに来る方は全員が通訳や翻訳を志す仲間なので、今でも仕事の打診を互いにしていますし、MIISの先輩や同級生は仕事を紹介しあっています。僕の場合はほかのMBAやTESOLなどにも友達がいて、そことのつながりも、色んな仕事につながっています。当時のルームメイトの実家が翻訳会社を経営しており、そこの仕事は今でも受けています。

修士論文の口頭試問に合格!

MIIS の学生生活のなかで、一番思い出に残っていることは何ですか。

追加費用のかからない範囲で授業をできるだけ受けていたら、修士論文を見てくださっていたコルドバ先生に授業を減らさないと担当できないと言われたのも今ではいい思い出です。忙しい中対応してくださり、とても感謝しています。

色々ありましたが、一番思い出深いのはモントレーからサンフランシスコまで200kmほどの道のりを80ドルの自転車でルームメイトと1週間かけて往復したことでしょうか。全身筋肉痛になり、広大なアメリカを体感できました。道中トラックを運転する年配の女性に山1つぶん相乗りさせてもらったり、誤って私有地に入り、番犬に襲われそうになったり、思い出深い1週間でした。

入学希望者の方たちに、特にアドバイスがあればお願いします。

MIISに入る場合は、本気で通訳か翻訳を仕事にする覚悟で入ることになります。自分は通訳や翻訳をするべきだと本気で思っているのであれば、有意義な時間が過ごせると思います。僕自身も多少は仕事での通訳や翻訳を経験した上で入学しているので、自分なら通訳者や翻訳者になれると確信してから入学しています。入学さえすれば後は先生がなんとかしてくれるという甘い世界ではありません。

周囲を見渡せば、10年会社で翻訳などを経験してから、商社で働いたのちに勉強してからなど、翻訳や通訳の“初心者”に経験豊富なライバルが多い業界です。それを踏まえて、MIISでの修士号はライバルたちに対抗するための強い味方になります。さらに、MIISマフィアの先輩たちも助けてくれます。もちろん、最終的には仕事を得られるかは自分の力量次第です。

翻訳や通訳という仕事を僕は大好きですし、多くの方にぜひやってほしいと思っています。しかし、AI翻訳も多少は力をつけていますし、適当な実力では太刀打ちできません。十分な準備で力を蓄える、その一助としてMIISを活用すると良いのではないかと思います。そして、無事に卒業すれば就職に大変有利です。個人的には若くからフリーランスでも楽しいと思っていますが、そのためにもMIISというブランドは有効です。僕自身もMIISの後輩と仕事ができるのを楽しみにしております。

最後に一言お願いします。

先日、アメリカのベテラン通訳者の方が体調不良をきっかけに通訳業をリタイアされました(今は回復されています)。僕のほうでいくつか仕事を受け継いでいますが、この業界のバトンは脈々と受け継がれています。体は資本です。自分を大事に、長く、幸せに過ごしてください。もしよかったら通訳や翻訳をしてもらえると嬉しいです。通訳や翻訳を志す方がいれば、僕も相談に応じるなど、サポートしていきたいと思っています。この業界は強くないと生き抜けないので大変だと思いますが、個人的には人材不足を感じています。バトンはできる限り長く持ち続けますので、いつか受け取ってもらえたら嬉しいです。

MIISで日本語TLMを学び始めた理由【クリス・フォンタスさん】

皆さん、こんにちは。TLM学部一年生のクリス・フォンタスです。ニューヨーク出身ですが、ここ約10年間サンフランシスコ・ベイアリアで、ソフトウェア開発者として働いています。

日本語に関心を持ち始めたのは高校生の時でした。当時は学校でドイツ語の授業を取っていましたが、それをきっかけに言語学習に対して興味が沸き、ドイツ語以外の言語も話せるようになりたいと思いました。日本語は響きも格好いいし、表記体系も魅力的だし、勉強すれば楽しいだろうと思いました(ゲームなども日本語で楽しめるようになれて好都合でした)。

あいにく通っていた高校には日本語の授業がなかったため、近くの日本語学校を調べて登録しました。それから毎週火曜日の放課後、母に日本語学校へ連れて行ってもらいました。初めのころは担当教師と1対1で授業を受けていましたが、しばらくすると、小学生向けクラスのアシスタントにならないかと聞かれて、子どもに日本語を教えるのを手伝わせていただだくことになりました。正直、高校生の時に参加していたクラブや活動の中で、一番楽しかったと言っても過言ではありません。

大学に入ってからも日本語の勉強を続けました。コンピューターサイエンスを専攻しましたが、毎学期日本語の授業を取り、京都に留学したり、夏休みに東京に本部を置く小さいソフト会社でインターンをしたりしました。卒業した今でも出張や旅行などで時々日本に戻ることがあります。

最近は、今後どのようなキャリアを築きたいのかを考えてきました。何らかの方法で日本語とソフトウェアに関する知識を活かしたいと思い、大学院のプログラムを探しました。MIIS独自のTLMプログラムは、それを達成するのに最適だと思い申し込みました。

MIISに入学してからまだ1学期しか経っていませんが、驚くほど優しく頭のいい方に多く出会いました。そんな先生方やクラスメートに支援していただいてうれしい限りです。もちろん山ほどの宿題に取り組まなくてはいけない時もありますが、全てが貴重な経験です。

これからも皆さんと新しく知り合うのを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

Panasonic Energy of North Americaでの体験について②【安部望海さん】

みなさんこんにちは。日本語プログラム翻訳通訳専攻2年生の安部望海です。今回は、前回に続いて、私が夏休み期間中に派遣社員として勤務した、Panasonic Energy of North America(以下PENA)での経験について伝えします。前回の記事はこちらからどうぞ。

担当業務について

私は、夏の3ヶ月間、エンジニア部署専属の通訳・翻訳者として、リチウムイオン電池の製造工程で使用される2種類の設備の立ち上げに携わりました。8時の朝礼から始まり、日中の会議の同時通訳、夕方には日本メンバーとのオンライン会議の逐次通訳を担当します。会議以外の時間は、他の会議の資料やマニュアルを席で翻訳し、その間も、声をかけられれば社員さん同士のちょっとした会話をオフィスにて通訳。忙しい日はお昼を食べる暇もないほどでしたが、最低限、喉を枯らさないように水筒を常備しながら会議室を行き来しました。

夕方オフィスで翻訳をしていると、担当外の通訳もやってみる?と声をかけて頂き、人事や経営管理にまつわる内容の通訳をすることも。それからは突発的な依頼のチャンスを狙って、敢えて残業するようになったこと、上司は気づいていたかもしれません。(笑)

3ヶ月で学んだこと

3カ月間で学んだことは大きく3つです。1つは、通訳が、話者と同じレベルで意味を理解することの大切さです。業務初日から専門用語の嵐にさらされ、これは机上で学ぶものではない、、、!と感じた私は、厚かましくも社員さんに工場内のツアーをして頂いたり、担当設備の傍に居座ってみたりを習慣づけました。勿論、たった数ヶ月でエンジニアレベルには到底追いつけませんが、毎日工場内を歩くことにより、彼等の間で飛び交うやりとりが、自分にとっても少しずつ「身近な話題」になっていくのを感じました。私の場合は、納得感を持って通訳をするためには、実物を見る、触れることが一番の近道でした。

2つ目は、体調管理の大切さです。時差を理由に夕方から始まるオンライン会議は、場合によっては2時間を超えることもありました。内容が複雑でなくても、一定の長さを越えると、言葉の意味を汲み取りづらくなることを感じたのは面白い発見でした。自分の体力の限界と、効果的な体調管理の方法について、身体で学び考える良い機会だったと感じます。

3つ目は、インハウスとしての仕事の楽しさです。夜遅くまで続く会議や、3カ月の集大成となる決算会議等にて感じたやりがいは、毎日顔を合わせて仕事をしていたメンバーとだったからこそ味わえた感覚でした。エンジニアの社員さんと同等に、私も通訳という専門的なスキルを使って、一メンバーとして貢献できているんだ、そう感じさせてくれたチームに感謝しています。今のところ、卒業後も、まずは現場での通訳、翻訳スキルに磨きをかけられるような企業で、インハウスとしてキャリアをスタートしたいと考えています。

2年生になった現在

9月からはモントレーに戻り、残り5カ月の学生生活を過ごしています。今年の授業は1年目以上に、扱うトピックの理解度が肝となってきます。訳出、ノートテーキングの練習も勿論大切ですが、それ以上にトピックについての幅広く深い知識が必須です。卒業までの道のりは、まだまだ長いように感じますが、この3ヶ月を経て再確認できた通訳の難しさと面白さが、今の私の糧となっています。初心を忘れず、最後まで走り切りたいと思います。

終業後の夕日。ネバダの夏はからっと乾燥して晴れた日がほとんどでした。
週末に出かけたラッセン火山国立公園。滞在先のRenoは、日帰りでタホ湖や国立公園に遊びに行くことができ、自然好きの私にとって好立地でした。

Panasonic Energy of North Americaでのインターンシップ①【安部望海さん】

みなさんこんにちは!日本語プログラム翻訳通訳専攻2年生の安部望海です。この度は、私が夏休み期間中に派遣社員として勤務したPanasonic Energy of North Americaでの経験についてお伝えします。今回と次回のブログで、採用~実際の業務についてお話させていただきます。

採用が決まるまで

MIISの夏休みは3カ月と長いので、大学院とは違った環境でスキルを磨く大きなチャンスです。そのため1年生の多くは冬頃から夏のインターン先を探します。通訳・翻訳のインターンを受け入れる企業は少ないため、私は1月ごろから授業の合間を縫って短期契約社員の求人も含め、勤務先を探し始めました。

面接に臨む過程で学んだのは、通訳者としてのプロ意識の大切さです。日々大学院で様々なフィードバックを受けていると、自分の未熟さばかりに目がいってしまいがちですが、能力試験を含む面接の過程で、業務に対し能力が見合っているか否かは企業が決めることなんだ!と感じました。訓練中の学生気分は一度捨て、履歴書の作成や面接の練習を行うよう意識しました。

*F-1学生ビザで入国している留学生が米国で働くには、学校を通じてCPT(Curricular Practical Training)の取得が必要になります。CPTにより、専攻分野と関連のある職種で「研修」という名目で勤務が可能になりますが、実際の取得まで手続きに多少時間を要することがあります。夏休み中に米国での勤務を希望されるF-1ビザ保持者の学生さんは、手続き云々で躓いてしまわないよう要注意です。

いざ、ネバダ州リノへ出発!

無事採用が決まったリチウムイオン電池の生産会社、Panasonic Energy of North America(PENA)は、実は、MIISの先輩が過去に数年間勤務されていた企業だったことを知りました。先輩との面識はなかったのですが、教授を通じてご連絡させて頂いたところ、PENAでの業務についてのみでなく、在学時代のお話から現在の状況等についても、2時間以上に渡って、丁寧に色々と教えて下さりました。改めて、MIISで築ける繋がりは本当に温かいなぁ、私も将来同じような形で後輩の力になりたい、と思えた素敵な時間でした。

そしてとうとう、5月の期末試験もなんとか乗り切り、卒業される2年生にお別れを告げた翌日、私は勤務先のネバダ州・リノへと旅立つこととなったのです!次回は、実際の業務の話や、業務外のリノでの経験についてお伝えさせて頂きます。

先輩の卒業式では、同時通訳を務めさせていただきました。
出発前のPacific Groveの景色(Lover’s Point周辺)5月は毎年ice plantが咲き誇ります。

第63回米国翻訳者協会(ATA)カンファレンスに参加して

みなさん、こんにちは。今日は、先月ロサンゼルスでカンファレンスが開かれた米国翻訳者協会(ATA)についてご紹介したいと思います。ATAは米国最大の翻訳者・通訳者による職業団体で、100カ国以上、約8,500人の会員を擁しています。1959年に設立され、翻訳者、通訳者、教育者、プロジェクトマネージャー、ウェブやソフトウェアのデベロッパー、言語サービス会社(LSP)、病院、大学、政府機関などが名を連ねる団体です。翻訳者にとっては、ATAに登録すると仕事の依頼が入るため、フリーランスとして仕事を成功させるための重要な場となっています。

ATAは毎年アメリカの様々な都市でカンファレンスを開催し、多くの翻訳者、通訳者、業界専門家が集まります。本校MIISの在校生、卒業生が交流を深める場としても活用されています。また年間を通して、様々なワークショップ やセミナーも実施しています。ATAカンファレンスに今年初めて参加したMIIS一年生のSarah Blackwellさんに、実際の参加した感想を聞いてみました!

「今年のATAカンファレンスはカリフォルニア州ロサンゼルスで10 月13日から15日まで行われました。私がこの学会に参加しようと思ったのは、自分がまだ翻訳とローカリゼーションの初心者で、将来の仕事について方向性が決まっていないからでした。多言語の環境で様々なセッションに参加して、興味深かったです。

スピーカーの方は政治翻訳、メディアローカリゼーション、観光翻訳や人間工学的な書斎の作り方など、多様なトピックについて話していました。私にとってどれも、とても勉強になりました。そしてカンファレンスでお会いした方は皆さん親切で、朝食やネットワーキングイベントで他の参加者の方と話し、アドバイスをもらいました。これからもいい翻訳者になるための勉強を頑張っていきたいと思います。」

10月1日(土)に日本語プログラムの新入生歓迎会が開催されました!

キャンパスから歩いてすぐの距離にあるデルモンテ・ビーチ近くの地ビールのお店 Dust Bowl Brewing Co. で、日本語の翻訳や通訳、ローカリゼーション、そして日本語を勉強している学生達と教員が大勢集まり、ピザを食べながら楽しい時間を過ごしました。中にはベイエリアからわざわざ駆けつけてくれた学生さんもいました。

新入生の皆さんご入学おめでとうございます。MIISにようこそ!!勉強や練習、インターンシップ、就職活動など、在学中は一筋縄ではいかないチャレンジもたくさんあるかと思いますが、困った時は頼りになる2年生の先輩方、そして担当の教師にいつでも気軽に相談してくださいね!

また、私 Seamus Gildner(TLM専攻2年)、Kyle Chow(TLM専攻2年)、Ayumi Ann Neville(TLM専攻2年)、Jizong Yao(T&I専攻2年)が企画運営している MIIS Japanese Culture Club の紹介もさせてください。毎月対面やバーチャルで楽しいイベントを企画しているので、ぜひご参加ください!興味がある方はぜひTeamsのグループに入ってみてください。一緒にイベントを楽しみましょう!

では、今学期から一緒に頑張りましょう!

在学生インタビュー【小松原奈那子さん、ニック・コンチーさん、直美・ストックさん ダイキン社インターンシップについて】

今回は、昨年のインターシップについて、当時2年生の金千雪さんがまとめてくださった記事です。

*****

皆さんこんにちは!2年生の金千雪です。日本語プログラムで翻訳・通訳 (TI) を専攻しています。
今回は、2021年春学期終了後の夏休みに、テキサス州のウォーラーにあるダイキン・テキサス・テクノロジーパーク(DTTP)にてインターンシップをされた小松原奈那子さん (CI専攻2年生)、ニック・コンチーさん (CI専攻2年生)、直美・ストックさん (TLM専攻2年生) にお話しを伺いました。

—本日はお忙しい中ありがとうございます。はじめに、このインターンシップに応募した理由を教えてください。

奈那子さん: 私は大学院に入学した時点では翻訳・通訳の経験がなく、夏休みの間に実際の職場などを体験し、卒業後にむけて経験値を積んで視野を広げたいと思っていました。そこでダイキンの募集を見つけました。アメリカでの通訳は製造業が多いとも聞いていたので、ここでインターンができれば、通訳の現場としてどのようなものが多いのか知ることもできるのではないかと思い、応募しました。
ニックさん: 日本は製造業でよく知られており、英語圏で経営している会社もたくさんあるため、通訳・翻訳に対しての需要はこれからも変わらないはずです。私は将来、社内通訳またはフリーランスを目指していますが、どちらにしても製造業に関連した仕事をする可能性がかなり高いので、現場で製造業を勉強できたらもっともスキルアップにつながるのではと思って応募しました。
直美さん: 私はニックさんと違い、通訳・翻訳者を目指していませんが、このインターンシップを通してアメリカを拠点とする日本企業の視点を知りたいと思っていました。そして、日本語を使って通訳を学び、将来を切り開いていきたいと思い、このインターンシップに応募しました。

—具体的にどんなお仕事をしましたか?ニックさんはインターンシップの間テキサスに引っ越したそうですが、コロナ禍の影響で奈那子さんと直美さんはリモートからの参加だったと聞いています。その点何か違いはありましたか?

奈那子さん: 私はリモートでの参加でした。リモートで参加した理由はいろいろありますが、主な理由は私自身が日本からモントレーに来て一ヶ月ほどしか経っておらず、まだモントレーに慣れておらず、引越し作業も終わったばかりだったので、可能ならしばらくは移動したくなかったというものです。リモートだったのでニックさんとは違い、対面での通訳などができなかったので、やれることが比較的限られてしまったというのが素直な感想です。ですが、それでも役員の方が出席するZoom会議に定期的に立ち会わせていただいて、ダイキンの通訳チームの通訳を聞いたりすることで、実際の職場で求められるスキルについて学ぶことができました。また、会議の後には必ず通訳チームが質疑応答の時間を設けてくださったので、会議に立ち会って気になった通訳のやり方や、会議の内容について存分に聞いて学ぶことができました。
ニックさん: 私が今回テキサスに引っ越した主な理由は、対面式の通訳を試したかったからです。私たち1年生は昨年コロナ禍の影響でZoom上の通訳しかできなかったのですが、ウォーラーにある巨大なDTTP(ダイキン・テキサス・テクノロジー・パーク)では、初めて人の前に立って通訳することを体験できて、非常に嬉しかったです。
私たちは3人でZoomで行われた幹部ミーティングを見学したり、オンライン勉強会に参加していましたが、現場で大勢の作業者やうるさい機械に囲まれて通訳を体験できたのは私だけです。
ダイキンのインターンシップには毎年数十人もの参加者がいますが、そのほとんどがエンジニアリングを専攻にしている大学生です。インターンたちはDTTPの近くにあるアパートに住むこととなっているので、常に顔を合わせて情報交換やネットワーキングができたのも大きな利点の一つです。
直美さん: 私もリモートでの参加でしたので、私が経験できる仕事の種類は限られていました。しかし、私たちの見学が許可された会議が全てオンラインであったことや、上司との練習セッションがあったことは幸運でした。そうは言っても、テキサスに行っていたらダイキンでもっと有意義な体験ができたと思います。

—そこでニックさんへの質問ですが、テキサス州での生活はどうでしたか?

ニックさん: ヒューストンはテキサスの南東にあり、日本と似たような蒸し暑い夏が印象的です。そしてテキサスの大きな利点は、ガソリンや買い物など物価が基本的にカリフォルニアより全然安いということです。ただ、ウォーラーは田舎にあるため、車がないとなかなか生活ができない場所です。車でテキサスに引っ越したのは大正解でした!

ーインターンシップでの学びを聞かせてください。実際に働いてみて、普段の授業での通訳と何か違いはありましたか? また、直美さんはこのインターンシップ以前は通訳経験がなかったそうですが、今回を通してどう感じましたか?

奈那子さん: 一つ確実にこの先覚えておくべきだなと思ったのは、実際に喋る人は必ずしも正しい喋り方をするわけではないということです。当然のことですが、普通に喋っていると、人は基本的に話がそれたり、方言を使ったり、正しい文法ではなかったりと、教科書にはない喋り方をしてきます。普段の授業では、練られ、練習を重ねたスピーチなどが多いので、このような形の通訳はあまり経験してきませんでした。ただ実際にはこのように様々な喋り方に対応する必要性があると思うので、それに気付けたのはよかったです。
ニックさん: 授業では、全ての情報を正確に伝えることが重要とされますが、実際に現場で通訳してみたら、情報を伝えることだけではなく、コミュニケーションを支援することも通訳の大切な仕事だなと思いました。スピーカーが本当に言いたいことを捉えて、そしてこれを相手にわかってもらえるように伝えることには、人間関係に対しての観察力や柔軟性が求められます。
このような知識やスキルは授業で教えにくいので、やはり実際に現場での通訳に挑戦してみないとなかなか身につかないと思います。
直美さん: インターンシップの前は通訳の経験がなかったので、練習セッションを続けるのに苦労しました。経験不足にもかかわらず、私は新しい、価値のある知識を多く学びました。たとえば、通訳のためにメモを取る方法や、記憶の仕方を学びました。

—私もダイキンのインターンシップに興味があったので、オリエンテーションに参加したのですが、通訳者の育成に力を入れているとういう話が印象的でした。実際はいかがでしたか?

奈那子さん: 実際このインターンシップは、職務経験を積むというよりは、将来通訳者になるための育成をするという要素の方が強かったと感じます。特に序盤は現場にインターンを出したりはせず、通訳の練習会や業界の知識を教える説明会などが多かったです。また、インターンシップ中は通訳スキルを向上させるための目標を設定し、それの達成に向けて練習していました。なのでその目標に向けての進捗報告も度々行っていました。後半になるにつれて、翻訳などに携わらせていただくことも増えてきましたが、全体的に見るとやはり、育成するという方が全面に出ていた気がします。
ニックさん: そうですね、ダイキンは通訳者のための育成が充実しています。インターンの担当者の方は週に1〜2回、勉強会や説明回を行い、空調業界や日本の製造業について色々教えてくださいました。現場で通訳をしている時に、分からない単語やより深く知りたいコンセプトなどが出た場合、次の説明会でそれについて確認ができたのでとても便利でした。
また、このミーティングにはインターンだけではなく、正社員の通訳者も参加するので、その方々と話すことで社内通訳の仕事について色々学ぶことができました。
直美さん: 確かに、経験を積むことよりも、主にトレーニングに焦点を合わせていました。 そのため、企業で働くことにおいてのスキルはあまり学びませんでしたが、通訳の知識や職場環境の理解を深めることができました。

—これからダイキン社のインターンシップに応募する学生へのアドバイスや、読者へのコメントがあれば教えてください。

奈那子さん: ダイキンは通訳チームの方々がとても親切で、とても親身になってくださいながら通訳スキルの向上に向けていろいろと助けてくださいますので、とてもいい職場だと思います。また、ダイキンの施設は通訳ブースなども含め最新式なので、もし状況が許すのであればぜひ実際にテキサスに滞在してその場を体験してみて欲しいです。実際私はリモートでしたが、ダイキンの機材などに触れたり、通訳インターンとしてあまり多くに関われなかったのが心残りです。ですが、もしリモートでもなるべく参加できるようにダイキンの方々は最善を尽くしてくださるので、機会があれば無理のない範囲で頑張って欲しいです。
ニックさん: もし今後もリモート・インターンシップが提供されていても、できればテキサスに引っ越したほうがいいと思います。コロナ禍からの正常化が進むなか、対面式通訳の機会が増えると思われますし、現場を自分の目で見学することも非常に勉強になるので、対面式のインターンシップがおすすめです。
直美さん: ダイキンでの経験にとても満足しており、将来は喜んでダイキンに就職したいと思います。 現場で行われた学習体験の多くを逃したので、バーチャルではなく直接現地に行くことをお勧めします。

東京オリンピックの通訳現場から 2

今回は、日本語通訳チームのメンバー6人から寄せられたメッセージをご紹介します。

左上段から、エリカ・エグナー、ニコラス・コンチー、森千代、丹羽つくも、大社理恵、金千雪、小松原奈那子

★金 千雪(T専攻1年)

この夏、東京オリンピックのジュニア通訳を務めることができ、嬉しく思います。初めての逐次通訳の仕事で非常に不安でしたが、それ以上に多くのことを学べました。語彙力や知識を増やせたのはもちろんですが、一番大きな収穫は通訳者として「伝える」こととその責任を意識できたことだと思います。今までは動画を使って勉強してきたので、スピーカーが意思のある個体だという実感が薄かったのですが、色んな選手と監督の思いや覚悟、考えを現場で聞くことができ、それを伝える責任の重さと自分の未熟さを深く感じました。当たり前のことではありますが、初めて本当の意味でスピーカーの言葉を尊重できたと思います。また、応募を渋っていた時に背中を押してくれたり、シフトが少ない私に仕事を譲ってくれたり、自分の担当ではないスポーツでも練習に付き合ってくれたりと、素晴らしい仲間と先生に恵まれていることを改めて実感した1か月でした。

エリカ・エグナー(T専攻2019年卒)

東京オリンピックでジュニア通訳として働く機会を得たことを大変光栄に思っています。昔から大好きだったオリンピックへの愛情とMIISで身につけた技術をこの形で組み合わせられるとは、想像もしていませんでした。柔軟性も責任感も求められた今回のチャレンジを通して、ほとんど何も知らなかったスポーツのことをたくさん学び、長年尊敬してきた選手たちの言葉を世界に伝えることができました。ときには喜びで興奮した、ときには落ち込んだ監督や選手の言葉を適切に訳出する大きな責任を感じました。2年前にMIISを卒業してからほとんど通訳していない私は、緊張感を覚えることもありましたが、MIISの在校生・卒業生の応援と激励を受けて頑張ることができて、ありがたかったです。日本のスポーツの魅力を世界に伝えられる一生忘れられない素晴らしい体験でした。

小松原奈那子(TI専攻年)

今回、オリンピック記者会見の通訳をする機会を頂けてとてもいい経験になりました。私自身、翻訳通訳の経験がないまま大学院へ入学したため、練習ではない、授業でもない、しかもお金をいただいて披露する通訳というのはこのオリンピックの舞台が初めてでとても緊張しました。ですが、自分が練習してきたことを自信を持って思いっきり出せる場に立てた、一生に一度のような大イベントに携わる機会をいただけたこと、自分が幼い頃から見ていた選手・スポーツに対して通訳として関われた事実から緊張を余裕で上回るほど楽しかったです。また、今回のオリンピックはリモートでの通訳、しかも逐次通訳という初の試みで、私たちも会場側も手探りから始まり、お互いに連携して会見を成功へ導くという経験・プロセスはとても貴重なものだったと思います。普段からも運営側と連携を取ること、柔軟な対応が出来ることの重要性が深く身に染みました。この経験を通して自分にとって様々なものが見えてきたと思いますので、ここで感じたことを忘れずにしっかりと次へ繋げていきたいと思います。

ニコラス・コンチー(TI専攻1年)

今回リモート通訳としてオリンピックに参加できたことを本当に光栄に思っています。通訳を勉強し始めてから一年も経っていない未熟な私が、この歴史的な大会に通訳として参加して本当に大丈夫なのか不安もありましたが、それと同時に、通訳を必要とする記者会見参加者の皆さん、採用してくださった担当者の皆さん、そして通訳チームメンバーからの期待に応え、恩返しをしたい気持ちも強く感じていました。本番の環境で感じたやりがいと責任感は、今後の通訳キャリアにとって大きなモチベーションにつながると確信しています。監督や選手たちの言葉を借りれば、今回はチーム一丸で取り組み、最高の結果を残すことができたと思います。通訳チームの皆さん、本当にお疲れ様でした。3年後のパリ・オリンピックを目指して頑張りましょう!

大社理恵(CI専攻2021年卒)

今回はオリンピック史上初のリモート逐次通訳をするということで大変貴重かつ記憶に残る体験をすることができました。通訳者だけでなく、開催者側も、通訳ユーザー側も初めての試みということから通常のリモート通訳をするよりも会場にいる開催側のスタッフとの連携や不測の事態に備えての柔軟性と冷静な判断が必要となり、自身の通訳者としての質を試される良い経験になったと思います。監督や選手たちの試合の感想や想いを通訳することは普段通訳するビジネス会議とは異なり、とても新鮮で、刺激にもなりました。きまぐれから今回のオリンピックの通訳案件に応募しましたが、普通ならば聞くこと、見ることができない監督や選手の話やメディアとのやりとりを、聞くだけでなく通訳することができ本当に良かったです。

丹羽つくも(CI専攻1年)

ある会場にて、私たちリモート通訳は「天の声」と呼ばれていたそうです。実際の記者会見場にて、選手や監督のコメント、記者の方達の質問などを、リモート通訳の私たちがMicrosoft Teamsを介して逐次通訳をし、それが会場のスピーカーで流れることから、そのあだ名(異名?)が付きました。「天の声」。それは栄誉でもあり、責任でもありました。今まで全く手の届かない存在だった日本代表の監督や選手たちが私の声を聞いていると考えると、夢のようで、鳥肌が立ちました。その一方で、世界中の強豪チームと戦う人たちの言葉は全て重くて、同等の経験が全く無い素人の私にとって、彼らの発言の意味合いを汲み取って適切に訳出することは簡単ではありませんでした。また、通訳を必要とする記者の皆さんには私たちの訳出=スピーカーの言葉となるため、スピーカーの印象を天から操ることが出来るという重大な責任を感じました。日本中、世界中が注目する舞台で活躍するアスリートやコーチの言葉からインスピレーションを受け、他の通訳者や会場担当者の方々からも多くを学ぶことができ、大変貴重な機会だったことは言うまでもありません。