卒業生インタビュー【ジョナサン・マイケルズさん】

今回は、2010年の卒業生ジョナサン・マイケルズさんにお話を聞きました。ジョナサンさんは、MIISの翻訳通訳修士課程(MA in Translation and Interpretation)を卒業され、現在は日本でフリーランス翻訳者として活躍されています。

―MIISに入学する学生は文系の人が多いのですが、マイケルズさんは大学で日本語だけでなく、電子工学・コンピュータ科学を専攻されたと伺っています。大学卒業後、理系の道に進むかわりに、MIISの修士課程で日本語の通訳翻訳を勉強しようと思ったきっかけを教えていただけますか。

一つ目のきっかけは大学3年と4年の間の夏のことでした。コンピューター・アニメーション制作会社のピクサーでインターンシップをしていたのですが、ある日、同期のインターンに、暇な時間の過ごし方について聞かれました。うちに帰っても週末でもピクサーでの仕事と同じようにCGモデル作りなどに励んでいた彼とは対照的に、僕は暇の大部分を日本語の勉強に充てていると答えたのですが、そのときから悩み始めました。趣味をキャリアにしようとしていた彼にとって、コンピューター・アニメーションは明らかに天職でしたけれど、自分はどうなのかなと。その何気ない世間話的な質問がきっかけとなって、高校で勉強を始めたときからすごく楽しいと思ってやがては最大の趣味となっていた日本語を仕事にできたらいいなと思うようになりました。

「一つ目のきっかけ」と書いたのは、そのときはまだどういう形態で日本語を仕事にできるか見当もつかなかったからです。「翻訳」について考えたことはほとんどなくて、あったとしても僕よりクリエイティブな人じゃないとできなさそうな文学翻訳だけであって、それ以外の翻訳は職業として存在することさえ知らなかったと言ってもいいぐらい視野になかったのです。そこでとりあえず、日本の文科・外務・総務各省が運営している、いわゆるALT(「外国語指導助手」)やCIRと呼ばれる国際交流員を自治体などに斡旋するJETプログラム(「外国語青年招致事業」)に応募してみました。同プログラムへの参加は最高5年までとなっていて、キャリアではなく別の何かへの踏み台にしかなれないのですが、受かったところで終わった後どうするか分からないまま応募したわけです。

幸い、茨城県庁にてCIRとしての配置が決まったときとそこへの出発との間に、去年のご退職まで長い間MIISの進路相談室の中心的存在となっていたジェフ・ウッドさんによる、「International Careers」というような題名の説明会が僕の大学のキャンパスで開かれました。本当にたまたま、用事と用事の間に1、2時間つぶす必要があったときにその説明会を宣伝する張り紙が目に入って、軽い気持ちで行ってみたのですが、終わった頃にはもう将来の形が見えていました。説明会の題目はある程度名目だけで、実質的にはMIISそのものについての説明会でした。職業としての翻訳やMIISの就職サポートについての説明もあって、どう始めたらいいか分からない人が翻訳の道に進むにはMIISが最適だということがよく分かりました。つまり二つ目のきっかけも、その説明会に参加してみたという、最初は何気なかったことでした。

―卒業後は、主にどのようなお仕事をされていらっしゃいますか。大学で理系を専攻したことが、どのように役立っていますか。

在宅で翻訳をやっています。形式上はフリーランスですが、今は仕事の9割以上が、特許などを扱う国連の機関であるWIPO(World Intellectual Property Organization=世界知的所有権機関)からの翻訳なので、ほとんど専属のようなものです。具体的には、今は主に「特許性に関する報告書」という、日本の特許庁にいる特許審査官が特許の出願書を見て特許になれそうかどうかの見解を書いた文書を、日本語から英語に訳しています。

その文書の内容はみんな技術的なものですが、その技術分野は、例えば自動車用の無段変速機から、線維筋痛の治療薬や紙おむつに至るまで、本当に様々です。なので大学で勉強したコンピュータ科学を直接活かせるときもありますが、そうじゃないときのほうが多いです。でも学校で勉強していない技術分野のときでも、大学で育った(というよりもともとあったから一旦その道に進んだ?)理系の頭が役立っているような気もします。

―MIIS在学中、インターンシップなどはされましたか。どんな経験だったか教えてください。

1年目と2年目の間の夏に、上述のWIPOの拠点であるジュネーブに行って、同機関で約3ヶ月間のインターンシップをやらせていただきました。ジュネーブの公用語であるフランス語がほとんど分からなくて生活面での苦労は少しありましたが、職場では、翻訳に対する熱意を共有してくれて、そして温かく接してくれる同僚・上司や、(同じくMIISからの)仲の良い同期に囲まれて、毎日が楽しかったです。

風船

誕生日の上司のオフィスを風船で埋め尽くそうと風船を膨らませているインターンたち

今やっているのとほとんど同じ仕事をやっていましたが、インターンシップでは毎日のように細かい指導をいただいて、非常に勉強になりました。直される点が週ごとに減って、特許系の翻訳に慣れてくるのを本当に実感できました。

―MIIS で学んだことが、いまお仕事にどう活かされているか、お聞かせください。

授業中やクラスメートとの勉強会で、練習に練習を重ねたり、望まれる翻訳とは何かを議論したり、具体的な用語や構文への対処法を話し合ったりすることで育んだ翻訳脳が今役に立っているのはもちろんのこと、僕の場合はもっと直接的な意味でMIISに行かなかったら今の仕事に就くことができませんでした。というのは、現状では翻訳会社を介せずに直接WIPOから翻訳仕事を受けられるのは翻訳の修士課程を修了している人だけだと聞いたと思いますし、MIISの卒業生がそうしている人の結構大きな割合を占めている気がします。

また、翻訳そのもの以外にも、お得意先とのやり取りでの留意点や、見積書や請求書の作成の仕方など、翻訳のビジネスを運営する上で必要になる諸々の付随業務についても学んで練習したおかげで、より自信を持って卒業直後にフリーランスに踏み切ることができました。

―MIIS の学生生活のなかで、一番思い出に残っていることは何ですか。

これは難しいなー。やっぱり濃い2年間だったので、思い出はいっぱいあります。お好み焼きパーティーや天ぷらアイスパーティーなど、クラスメートのアパートでの数々のパーティーや、追い出しコンパでジャスミン役になってアラジン役の女性のクラスメートと一緒に『ホール・ニュー・ワールド』を披露したとき、数人でATA(American Translators Association=米国翻訳者協会)の年次会議に出席するためニューヨークに行ったとき、ブースメートの都合が急に悪くなった先生から大きな会議での通訳の補欠を頼まれて、緊張のあまり、代わりが見つかったからいいという旨の電話が来るまでの半日間食べ物を一切口にできなかったとき、ドイツ語プログラムの学生との合同通訳練習など……

お好み焼き

T&IJ ’10のクラスメートと

でも敢えて一番思い出に残っているエピソードを選ぶとしたら、ちょいダメな学生みたいに聞こえるかもしれませんが、日本語プログラムの学生だけじゃなくて翻訳通訳の学生全員(かな?)で受講する講義があって、ある日のその講義の直前にクラスメートの一人が少し体調を崩して休むことにしたから、全員一致で一緒に休むことにして、1時間だけ多忙のなかのゆったりとした時間を一緒に過ごしたときです。もちろんサボりはいけない、とここで書いておきますが、今も健在な、クラスメート同士の絆の強さを実感できたひとときでした。

―入学希望者の方たちに、特にアドバイスがあればお願いします。

入学までの道のりは人それぞれ過ぎて広く当てはまるアドバイスができる自信がないので、もう入学した前提でのアドバイスです。

翻訳はある程度一人で集中してやる必要があるかもしれませんが、お互いの草稿の校正や改善提案ができますし、何よりも通訳やサイトラ(サイト・トランスレーション=紙や画面上の文章を読んで口頭で訳すこと)は、2年間の間なるべく沢山クラスメートと一緒に練習したほうがいいです。お互いから学べることがたくさんあるはずですし、そして一生の友達になるかもしれません。

以上です!ここまで読んでくださって、お疲れ様でした!そしてありがとうございました。