Category Archives: ゲストスピーカー

ゲストスピーカー:中国との貿易関係

マシュー・カーペンターによる寄稿
Contributed by Matthew Carpenter 

MIISで中国と米国の貿易関係についての講演が行われました。スピーカーはチャールズ・フリーマンさん。戦略国際問題研究所における中国のエキスパート。彼は主に経済と貿易問題の研究者で、アメリカを代表して中国との貿易交渉を行ったこともある人です。

フリーマンさんは、中国はつい最近経済大国として発展してきた国だと考える人が多いが、歴史的に観ると、次のとうりだと説明しました。1820年代、中国のGDPは世界の30%を占めていたが、その後は停滞を続けて、1978年になると1%以下にまで落ちてしまう。それ後新たに目覚しい経済成長を続けて、30年後の今では10%にまで上昇しました。

中国政府は国民と取引をし、共産党が政権に就き続けるのを認めさせる代わりに、政府は経済成長に力を入れる。中国政府が目指す経済成長は毎年8%。最低8%を維持できれば毎日5万人の雇用が生まれ、中国社会の安定につながる、とフリーマンさんは語りました。

経済成長を維持するため、中国は市場改革に乗り出し、その一角として世界貿易機関(WTO) に加盟しました。WTOに加盟したのは2001年。しかし、最近の経済危機の際に中国政府は景気刺激策を適用しました。中国政府は独裁政権のため、民主主義国家よりも大胆な景気刺激策を素早く適用できたのですが、その結果、中国は再び自由市場経済から計画経済を重視するようになっています。

フリーマンさんはこの状態は危険だと言います。市場改革なしには中国の長期的経済発展はありえないと語り、それだけではなく、世界はこれから中国に世界経済発展の原動力になることを願っていると指摘。国はどの企業が成功するかわからないので、計画経済で長期的に経済発展を続けるのは不可能。自国のためだけではなく、世界のため中国は市場経済を最重視する必要がある、とフリーマンさんは説明しました。

その他にも、フリーマンさんは中国政府がアメリカの要望に応じて中国通貨を20%高めてもアメリカの雇用は増えないだろうといいます。また、歴史的に見て、ある国が覇権国に取って代わって主導権を得ようとするとき戦争が行われなかったのは一度だけで、アメリカがイギリスを追い越したときだ、とフリーマンさんは説明します。その時は、アメリカとイギリスとの間には強い文化的交流があったのと、ドイツと戦うため両国はお互いが必要だったからだといいます。現在中国とアメリカとの間には強い経済的、文化的、そして政治的交流があり、今のところ紛争はありませんが、フリーマンさんによるとこれからが両国の関係の転換点だそうです。

CATESOL学会

11月13日、モントレー国際大学のキャンパスにてCATESOL (The California Teachers of English to Speakers of Other Languages)北部地域学会が開催されました。

メインとなるゲストスピーカーとして、Diane Larsen-Freemanをお迎えし、500人以上の参加者が集いました。53グループのプレゼンテーションのなかで、モントレー国際大学の教授・講師・生徒合わせて11グループが論文や実践的な教授方法を発表し、その他にも3人がポスターセッションで発表しました。

私にとって学会に参加するのは初めての経験だったので、とても緊張しましたが、CATESOLの方々はとてもあたたかく、弁士もリラックスした様子で発表していました。また、参加者の約半分はカリフォルニアにある大学院の生徒達で、The University of California Davis Campus, San Francisco State University,の生徒が目立ちました。

正直、学会は教授経験の豊富でとても有名な学者のための発表の場だと思っていましたが、CATESOLはもっと「実践的」で「クラスの中で役に立つアクティビティーを共有する」場で、会場の中でも弁士と聴衆の意見交換、質問が飛び交っていて、弁士が一方的に話すのではなく双方向の「対話」の様でした。また、役立つアクティビティーを紹介された後、実際参加者が生徒の目線に立ってアクティビティーを経験し、皆で振り返りをする場面も見受けられました。

最後に、この学会に参加し、大学院の授業で勉強した「第2言語習得理論」の第一人者であるLarsen-Freeman博士の話から、カリフォルニアで教鞭をとっている他の教授、また、大学院で修士課程を目指している生徒まで、様々な人から「英語教育」についての良いアイデアをもらうことができました。CATESOLは教授経験の少ない私たちのような大学院生に対して、大きな門戸を開いているとてもすばらしい組織だと思います。モントレー国際大学でTESOL/TFLを専攻する生徒は是非、CATESOLで学会発表することをおすすめします!

モントレー国際大学でもこの学会に関する記事を紹介しています(英語)

ゲストスピーカー (TESOL) B. Kumaravadivelu

4月30日、サンノゼ州立大学からB. Kumaravadivelu教授をお招きして、「文化の世界的拡大時代にともなうアイデンティティ」という講話をしていただきました。

1時間という限られた時間の中、彼の著書である「Cultural Globalization and Language Education」で提唱されているアイデンティティを考慮した教育へのアプローチを教えていただきました。メインとなる5つの基盤を要約すると以下の通りです。

  1. 特定の言語コミュニティだけに焦点を当てるのではなく、特定文化コミュニティーにも焦点を当てる
  2. 言語生産のみを目標にかかげず、学習者の目標コミュニティの帰属意識も考慮する
  3. 文化に関連した情報提供のみならず、(言語学習に伴う)文化変容も考慮する
  4. 受動的内省にとどまらず、批判的熟考も行う
  5. 与えられたテクストに限定しない、興味深い外からの資料の利用

また、彼は著書「Beyond Methods: Macrostrategies for Language」の中で教師の自省・自己分析・自己診断について言及しています。

講話終了後、Q&Aセッションがあり、私は日本の教育システムについての質問をしました。彼は、今あるシステムで自分らしさを発揮するのは難しいかもしれないが、自分を取り巻く環境に居る一人一人の理解を得られれば将来必ずシステムは変わるはずとのコメントをいただきました。

モントレー国際大学でTESOLを勉強している生徒は将来教壇にたった時、自分のやりたい事を全て出来ないかもしれないが、どこからか手をつけ始める事が大切だともおっしゃりました。

ゲストスピーカー (TESOL)

10月下旬、 TESOLのクラスの一つであるPrinciples and Practices of Language Teachingでゲストスピーカーをお迎えしました。今回のテーマはモントレー国際大学に併設されているESLのディレクターによる、ESLプログラムの特色”Project-Based Learning (PBL)”についてでした。

PBTの特徴は以下の10点にまとめられます

  • 学習者中心 ⇨ 生徒は自己の学習に必要な選択を自分で行う。
  • 生徒と教師の役割 ⇨ 典型的な教師が一方的にレクチャーを行うのではなく、学習は生徒と教師の共同作業であり、教師の役割は学習を容易にさせる進行役となる。
  • 学習内容と学習言語の同一性 ⇨ 例えば、①モントレーの観光情報の本などの作成(文章と写真を織り交ぜ、冊子を作成)②トークショー(学習計画のフレームワークのみを与え、生徒の興味で内容を決める)③7 days experiment (外食とお菓子を7日間やめて、それをビデオジャーナルにする。これは、ある有名なテレビ番組の簡易版で、7日間何か決めごとをし、それに徹底的に従った生活を送るというもの。)
  • 4スキル(reading, writing, speaking, listening)の自然集約
  • 過程/結果 ⇨ プロジェクトの達成と、その為に行う様々な作業で使われる言語が実際の言語使用に最も近い学習方法である。
  • 目に見える(明らかな)最終製品 ⇨ ESLプログラムの傾向として、プログラムの最後(プロジェクトの締め切り約1週間前)になるとほとんどの生徒のモチベーションが低下するようになるが、プロジェクト自体が生徒のモチベーションになる。そして、生徒はその実物を卒業式で発表(展示)する。それは生徒の達成感へとつながる。
  • 長期参加 ⇨ 長期的に同じトピックに触れる事により、ゆっくりと、且つ着実に専門知識を獲得する事ができる。
  • グループ作業と個人作業 ⇨ グループ作業は言語使用を奨励する。プロジェクトそれ自体の言語使用だけでなく、そのタスクを達成する為に必要な言語使用も奨励。タスク達成の為の言語(電話での会話など)は実際の言語使用にもっとも近い形である。個人作業は他のグループメンバーに100%依存しない為に必要。
  • リサーチ ⇨ 学習者のレベルは関係ない。例えば、レシピの場合は家族に聞いたり、ガイドブックは現地学習したり、様々な方法が採用される。また、その経過でネイティブスピーカーと接触でき、言語使用と自信につながる
  • 反省(reflection)

この学習方法はただ楽しいだけではなく、考え方・応用の仕方によって多様なレベル、目的にも見合う使い方がある。

以上がモントレー国際大学併設のESLプログラムの特色 “Project-Based Learning”です。

シーフードの持続可能性と同時通訳

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昨晩(2月19日)の夜に、モントレー国際大学院が定期的に催してる講演がありました。
今回は、「シーフードの持続可能性は可能か」というテーマでのパネルディスカッションが行われ、
ゲストスピーカーとして以下の4人の人がこられました。

Kim McCoy – Director of Shark Conservation for the Sea Sheperd Conservation Society.

Dane Klinger – Stanford Ph.D student and former research scientist at the Blue Ocean Institute.

Casson Trenor – Director of Business Development at Fishwise.

Jason Scorse – Assistant Professor at the Monterey Institute.

MIIS Alumnus Casson Trenor

MIIS Alumnus Casson Trenor

パネルディスカッションと言いましたが、正確に言うと若干ディベートに近い感じで、Kim McCoyとJason Scorseが持続可能なシーフードの消費など無理、というスタンスで、残りの二人が、実現可能だ、というスタンスでお互いの意見を発表し、その後発表者 どうしで質疑応答があり、最後に聴衆者との質疑応答、というスケジュールでした。

最初にパネリストが全員自分の意見を述べるわけですが、あるパネリストは「魚だって痛みを感じるのだから私たちは食べるべきでない」と若干無理のある論を 張っていたり、またある人は「私たちは持続可能な方法でシーフードを食べることができるし、食べるべきだ」と言ってはいるものの、どうしたらそれが実現で きるかには触れなかったりと、気になる点が多かったです。
もしかしたら管理人が抜けた後にそういった具体的な話もしていたのかもしれません。

それからこれはモントレー国際大学院独自のアイデアなのですが、こういったパネルディスカッションやゲストレクチャーなどを利用して、通訳を学ぶ学生たちが実際にブースに入り、通訳の練習をします。
なので、講堂の入り口で同時通訳が聞けるヘッドフォンを配ってました。
今回は日本語はなかったのですが、中国語・韓国語・フランス語・スペイン語・アラビア語の同時通訳をやっていました。管理人はスペイン語をかじったことがあるのでスペイン語をちょくちょく聞いていました。
こうして講演を聴きに来ていた学生たちからフィードバックをもらい、通訳の腕を上げていくわけです。
非常に実践的で、こういう施設が整っているのも翻訳・通訳で有名なモントレー国際大学院らしいなと改めて実感しました。

管理人が納得いかないのは、「魚だって痛みを感じるから」とか「可哀想だから」食べるべきではない、という議論です。よく聞く議論ですが、あまり論理的ではないかなと。
ちょっとうまく説明できるかわかりませんが、挑戦してみます。

魚だって痛みを感じるから食べるべきではない(獲るべきではいけない)
=痛みを感じさせることは可哀想だ
=だから痛みを感じさせるべきではない
=つまり他の生き物(例えばシャチなど)も魚を食べるべきではない
(魚は牛、シャチはライオンなどに置き換えることも可能です)

「魚だって痛みを感じるから」食べるべきでないという論理を煮詰めていくと上の方程式のようになるかと思います。
この方程式は実現不可能ですし成り立ちません。
なぜなら人間は魚や肉を食べなくても生きていけますが、シャチはベジタリアンになることは不可能だからです。
自然界には食物連鎖があり、ライオンやシャチを頂点とし、全ての種が他の種を捕食して成り立っているわけです。だからこの自然の流れを変えることは無理ですし、大昔は人間もこの食物連鎖の一部として生きていたのでしょう。
つまり、「痛みを感じさせるのが可哀想だから」食べるべきでないという理論は、要は食物連鎖の否定につながるのではないかと管理人は考えるわけです。

では人間だけが食べるのをやめればいいのか。今まで人間がしてきた漁業というのは持続可能なペースを大きく上回る早いペースで行ってきた乱獲といわれるも のであり、さらにバイキャッチ(混獲・漁の目的以外の海洋生物を網にかけてしまうこと)のおかげで必要以上に海の生き物を殺してきたわけなので、当然これ らには規制をかける必要があると思います。
ではこの方程式はどうでしょう?

魚だって痛みを感じるから食べるべきではない。
=ただしこれは人間に限ったことで、魚を主食としている動物は食べてOK
=魚は痛みを感じ続けることになる

もともとこの論を張った人にこの質問をぶつけてみたかったものです。一体どんな返答をしたのでしょうかね。
この方程式がもしOKならば、やはり「魚も痛みを感じるから」食べてはいけない、という議論は論理的でないと考えます。人間が食べるのもシャチが食べるのも「魚に痛みを与える」という意味では同じ行為であるからです。じゃあなぜ人間だけが特別なのか。

こういう議論の陰に「人間は特別な存在で自然を管理しなければならない」といった考えがあるのではないかなと感じました。
高校のときに習った人もいるかと思いますが、山崎正和氏が書いた「水の東西」という短編の文章があります。これは、人間がどのように自然と付き合ってきた かを、水を通して著している文章で、東洋の思想は自然との共存を実践し、西洋は自然と対立してきた、というのが著者のポイントだったと記憶しています。東 洋の思想の例として鹿おどしを、西洋の例として噴水を使われていました。鹿どおしは水を上から下に落とすものであり、逆に噴水は自然な流れに逆らい水を下 から上に押し上げる、と。
先ほどの話にもどりますが、つまり人間は特別だから魚を食べないことによって自然をしっかり管理していこう、という考えがあるのではないかなと。

管理人の個人的な考えですが、欧米ではこういった考え方が主流です(西洋なので当たり前ですが)。しかし管理人は東洋文化出身なので、人間が自然を管理で きるなどというおこがましい考えは持ってません。やはり人間は自然の一部であり、自然とともに生きていけなければいけない、と考えます。
文化の西洋化が広まった今日の世界では、こういった東洋的な考え方は段々と少数派になりつつあります。
そのせいとも言えるでしょう、ここまで自然破壊が広まってしまったのは。
いくらテクノロジーが発展しようと、人間は自然から多くの利益を享受しています。
なので、その自然との共存という点は絶対忘れていけないと思います。
自分も環境のことを学ぶにつれて、ますますそれを実感しています。
ベジタリアンもいいですが、管理人は自然なペースで魚や牛を食べるほうがよっぽど自然だと思います。

以上、わかりにくい点も多々あったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます。